#1 中国人のよくある言い訳。どうしてスイマセンが言えないのか~日本人のための外国人マネジメント講座~

この記事は、『「すいません」が言えない中国人「すいません」を教えられない日本人(健康ジャーナル社・2011年)』の著者が、研修講師として日本人の本音を中国人社員に語りかけているかたちで執筆しています。連載の各記事が1つの研修講座となっており、中国人社員を中心とした外国人社員と向き合う為に日本人が知っておくべきこと、考え直すべきことなど、一歩踏み込んだ内容になっています。この記事を読み終えたら、ぜひ職場の外国人社員にこの内容を語り、研修講座の内容を実践していただきたいと思います。また、記事を読むことで、皆さんが外国人社員との付き合い方を再認識するきっかけになれば幸いです。

日本人の不満の代表格「非を認めない」「すぐに言い訳をする」

私は人材紹介会社を運営しています。専門は中国人オフィスワーカーです。ちょうど皆さんのように、いま日本の企業で働いていて転職を考えている人、それからかつての皆さんのように、日本企業で働いてみようと考えている留学生を、企業に紹介しています。

ところで、私はかつて当社を訪ねてきた中国人留学生のひちことに卒倒したことがあります。約束の時刻に15分も遅れて来た彼が、ドアを開けるなりこう言ったのです。

「御社の地図がわかりにくいから遅れました」

数秒間、私は声を失いました。とは言ってもこっちも仕事ですから、気持ちを入れ替えて就職相談をこなしました。でも、内心はこんな感じです。

(あ~、なんでそんな言い方ができるかな~)

(人をナメるにもほどがある。しかし、なんだろうあの言い方!)

(それにしても、最初にスイマセンぐらい言ったらどうなんだ!)

(地図がわかりにくいだと?ここは駅の目の前だゾ!)

(いや待てよ、本人に悪気がないんだ。なんたって若い留学生なんだから)

(日本語を知らないだけだ・・・うん、きっとそうだ、そういうことなんだ!)

そんな風に考えて自分を納得させてはみたものの、やはりそのひとことがしばらく頭を離れませんでした。

この話をすると、多くの日本人が「ある、ある!」と言ってうなずきます。相手が留学生だろうと社員だろうと、日本人は中国人を相手にして、大なり小なり同じような経験をしているのです。先ほどの留学生は、「遅刻」という自らの非を認めなかっただけでなく、「地図が悪い」という言い訳をして、しかも平気な顔をしていました。

「非を認めない」「すぐに言い訳をする」-これは日本人の中国人に対する、いわば不満の代表格といってもいいでしょう。それくらい頻繁にあるということだし、日本人と中国人の違いが如実にあられる部分でもある、ということです。

書店に行けば、「中国人とのつきあい方」を解説した本がたくさん並んでいます。中国ビジネスに携わる日本人は、それらの本を読み、中国人のものの考え方や文化的背景を一生懸命に勉強しているんです。私もその1人です。それらの本には、「なぜ中国人は自分の非を認めないのか」や、「なぜ中国人はすぐに言い訳するのか」なども丹念に解説されています。

ところが、そういう本を何冊も読んで理解できたつもりでいても、現実はいつもその上を行きます。実際の場面では唖然とするばかりです。それが”トラウマ”になってしまったと言ったら大袈裟かもしれませんが、そのときの怒りと不満、そして不信感は、そう簡単に消えるものではありません。

一方、中国人の皆さんからすると「(悪いのは)私じゃない・・・」とか、「言い訳しているつもりなんてない」と思うことが多々あるでしょう。そんな場面が何度か重なれば、「日本人はわかってくれない」、「日本人は勝手に怒っている」、そんな風に感じても不思議ではありません。

日本人が「中国人が非を認めない」と感じる2つのパターン

なぜこんなふうにすれ違ってしまうのでしょうか?私は、中国人が非を認めない(と日本人が思う)のは、2つのパターンがあると思っています。

①自分が悪いとは思っていない場合
②悪いとわかっているが、それを隠して逃げようとしている場合

まず①を考えてみましょう。この原因については、私の経験値から言わせてもらうと、そもそも「悪い」という感覚の差が、日中間ではきわめて大きいのです。まったく同じ行動をとっていても、日本人は「自分が悪い」と思い、中国人は「自分は悪くない」と思うんですね。だからすれ違いが起きる。

日本人の感覚では、自分が悪い場合はもちろんのことですが、たとえ自分が悪くないとわかっていても、相手が不快な気持ちになった場合には、「自分が悪かった」という感情を持ちます。

対する中国人の場合はどうでしょう。わずか1%でも相手に原因があると思えば、「だからこうなった、あなたが悪い!」となっているように思えます。つまりそれば、「自分が悪くない」と言っているのと同じわけです。

日本人にとって一番大切なことは、「あなたは悪くない」と表明することなんです。むしろ、自分のことはどうでもよくて、“自分が悪い事にすれば、相手は悪くなくなる”という「気づかい」をします。自分が悪かったことにして相手を救うんのです。

これが日本人にとっての「悪い=非を認める」の意味です。よく言えば、自己犠牲の精神ですね。ではなぜ、日本人はそういうことができるのでしょうか?それは、日本人とにっては「誰が悪かったか」なんて、“どうでもいいこと”だから。そんなこと、気にはしないからなのです。

あとで詳しく書きますが、これを「おたがいさま」と言うんですね。この前提には、「間違いなんて誰にでも起こることだ」と言う考え方があります。今回はたまたま、ある人が間違えただけ。次はまた別の人が間違える。だからいちいち間違った人を責めてもしょうがない。だからといって、原因を追及しないという意味ではないですよ。その人を責めないと言う意味です。「罪を憎んで人を憎まず」という言い方がありますが、これは中国から来た表現ですよね。

そういうふうにして、誰かを責めるよりは、「あなたは悪くない。だから大丈夫ですよ」と働きかけて“和”を保とうとするんですね。もちろん、何でもかんでも「悪いのは自分です」っていうわけではありませんが。

それでは逆に、「自分の非を認めない」とどういうことになるでしょう?自分の非を認めないということは、「あなたが悪い」と言って相手を責めることになりますね。すると、和が壊れます。和が壊れればすごくイヤな気分になるし、仕事だってうまくいかなくなる。ですから、日本人は「あなたは悪くない」と表明することに価値を置くわけです。そして、そういう心情を理解せず、「自分の非を認めない人」を毛嫌いするわけです。

中国人だって実際のところ、たとえわずかだとしても「自分にも非がある」と、心の中ではわかっているはずです。ただ、それを認めない。認められない。「認めてしまうと、自分が損をしたように感じるのではないか?」日本人はそう考えてしまいます。私の目からは、中国人は相手の落ち度が大きければ大きいほど、自分が救われると思っているように見えます。だから、相手に落ち度があれば、大げさに膨らませようとするし、どちらが悪いかという競争に持ち込もうとする。必死で相手の悪いところを探して、「あなたのほうがずっと悪い!」と言い、勝った気になりたがっているように見えてしまいます。

日本人はそんな中国人を見るにつけ、「中国人って、まったく出来の悪い子どもみたいだなあ」と思っているんです。

では、②の「自分の非を隠して逃げようとしている場合」では、日本人はどう思っているのでしょうか?

ウソをついて逃げようとすることは誰にでもあります。別にどこの国の人間だろうと関係ありません。ただし私の見るところ、中国人のウソのつき方と日本人のそれとでは“レベル”が大間違いなのです。

中国人は、「私じゃない」と一度言ったら絶対にそれは曲げないと言われています。たとえば、社内で問題が起こり、中国人社員Aさんのミスが原因ではないかと疑われているとしましょう。Aさん以外の誰もその業務を担当していないからです。でもAさんは、「私じゃない!」と言い張ります。やがて、Aさんの過失であることを決定付ける確たる証拠が出てきても、Aさんは「私じゃない!」と言い続ける。そして逆に、「お前らのほうこそウソをつくな!」などと、自分のことは棚に上げて相手を責めて騒ぎ散らすーー。

日本人の目には、そんなふうに映っているのです。毒入りギョーザ事件(2008年1月)がいい例ですね。日本人全員が、あの一連の経過を見てそう思っています。尖閣沖の漁船体当たり事件(2010年10月)も同じです。中国とのビジネスに取り込んでいる日本人なら、この2つの事件を見たときに、「ああ、やっぱりそうなるのか!」と、自分のビジネス経験に照らし合わせて苦々しく思ったことでしょう。

中国人があまりにも頑なに、“非を認めること”を拒否する姿が、まるで「謝ったら殺される」と思っているかのように見受けられます。実際、中国文化を解説した多くの本にもそう書かれています。

「謝罪は敗北であり、過ちは永遠の責めを負う。だから自分の非を認めずに言い訳し、ウソをついて逃げ続ける。どうにも言い逃れできなくなると捨てセリフを吐いて去る」

 日本語のことわざに、「立つ鳥跡を濁さず」というのがあります。これは退き際が潔いことの喩えですが、中国人を表現するときにこれをもじって、「立つ鳥跡を濁しまくり」と言った人がいます。まさにその通りだと思いました。

日本人がいくら中国文化を理解しなればと思っても、実際にそんな場面に出くわしたら本当にイヤなものです。明らかに非があってもそれ認めない。さらに、もし謝ることになったとしても、中国人は相手を選んで謝っているように見えるんです。自分と相手の立場を天秤にかけ、強く出ても大丈夫な相手かどうか、あるいは謝ったほうがいい相手がどうかを計算している・・・それがわかるんです。すると、ますます腹が立ちます。

もちろん、日本人が謹厳実直だなどと言うつもりはありません。日本人だってウソをついて逃げることはあります。ただし、日本人はあきらめが早い。最初のうちはウソをついて「私じゃないと」言っていても、追い詰められる観念して、「自分が悪かった」と認めます。それはなぜかと言うと、「謝れば許してもらえる」という意識が日本人の根底にはあるからです。

「謝ればすむだなんて、日本人は無責任だ!」

そう言う人がいます。でも、それは正しくない。謝れば許してもらえると考えるのは、さきほども書いたとおり、“おたがいさま”の意識を反映しているからなんです。心情的に「許す」のと、ビジネスとして「責任をとる」のとはまったく別のことです。間違った以上、責任はとってもらいます。

ミスが原因で騒ぎを起こしてしまったとしましょう。騒ぎが大きくなればなるほど、繕うためのウソも大きくなってしまう。いよいよとなったら逃げるしかないーーこれ人間本来の自己防衛本能であり、中国人でも日本人でも違いはありません。もしばれてしまったら、自分の人生が吹っ飛んでしまうぐらいの大きなミスをしでかした。そうなれば、あくまでも自分は関係ないと知らんぷりをして言い逃れようとする。

問題となるのは“ミスの大きさ”です。「コレがばれたらヤバイ!」と感じる「コレ」の程度が、日本人と中国人では大きく違うんですね。

日本人の感覚であれば、それくらいなら「すいません」のひとことで済むのに、そんな小さなミスでさえも、中国人の感覚では、「ヤバイ!」という一大事なんでしょう。そのくらい過剰な反応しているように感じられるのです。中国人はおおらかな民族といわれています。しかし、こういう反応だけを見ると、まるっきり正反対です。

「少しくらいのミスは誰にでもある。何も悪いことではないし、いちいち本気で責めたりはしていない。ひとこと『すいません』って言えばそれで済むことなのに」 日本人はいつもそんなふうに思っています。

日本人が使う「すいません」は謝罪だけの意味ではない。

相手が非を認めないときや言い訳ばかりしているときに、日本人が一番聞きたい言葉が「すいません」なんです。

「どうしてあの人(中国人社員)は、すいませんのひとこと言えないんだろう?」とイライラした経験は、中国人と仕事している日本人なら誰でも持っています。一度や二度ならまだしも、何度もこうした場面に出くわせば、「これだから中国人はイヤだ!」という悪い印象を持たれてしまいます。

ところが、一方の中国人は「なんでこんなことで謝らなくっちゃいけないんだ?」と思っている。これはもう喜劇というか悲劇ですね。

日本人だって自分の非を認めず相手を責め立てることもあるし、中国人だって謝ることはあります。しかし、日本人の感覚でなら「すいません」とか「ゴメン」、あるいは「申し訳ありませんでした」といった表現がごく自然に出てくる場面で、中国人の口からはそれが出てこない場合が多い。そこでかなり強い違和感を覚えるのです。どれくらい強い違和感かというと・・・おそらく、皆さんには想像できないくらいの強さです。

「すいません」のひとことがあるかないか?―それだけで両者の関係に大きな違いをもたらすことをぜひ覚えてください。

日本には、「喧嘩両成敗」と言う言葉があります。問題が起こったときには、どちらか一方だけを断罪するようなことは決してしません。例え相手が悪くても、自分の非がゼロで相手の非が100だとは結論づけようとしないのです。

例えば、次のような日本人同士の言い方を耳にしたことがあると思います。

「こちらこそ、気づかなくてすいませんでした」

「こちらこそ、もっと早く言っておけば良かったのに、すいませんでした」

「いや、こちらも悪いんですけどね、それにしても、もうちょっと気をつけてもらわないと・・・」

 これこそが、日本人の“おたがいさま意識”です。特にビジネスシーンでは重要で、上司と部下、顧客と企業など、上下関係と依存関係がある場合には欠くことで出来ない。“センス”なんです。それができないとこんなふうに思われてしまいます。

「あいつにだって落ち度はあるのに、どうしてこっちばかりが一方的に悪いような言い方をされなきゃならないんだ!?」

「上司に対してあの言い方はないだろう!大丈夫か、あの社員は?」

「客はこっちだぞ、わかってんのか、おい!」

部下は上司に対して「すいません」、企業は顧客に対して「すいません」。好きか嫌いか、良いか悪いかは別にして、日本語としてそれを使うのは普通だし、自然で当たり前のことなんです。

このときの「すいません」の意味は、

「自分はあなたの期待や要望を理解しなければならない立場にあるのに、それを充分には理解できませんでした」

つまり、「自分が至らなかった」ということなのです。

相手の気持ちを斟酌できるかどうかが日本人にとっては最重要課題であり、「自分はまだまだ未熟だ。もっと精進して上に行かなければ・・・」と考える。そして未熟な自分のことを「すいません」と表現するのです。これは“謝罪”とは違うのです。

皆さんは、「すいません=謝罪」と考えていませんか?日本語を勉強したときに、たぶんそう習っているはずです。だから間違えるのも無理ありません。

じつは、実際の会話で「すいません」が謝罪の意味に使われていることは多くありません。謝罪の場合は、「すいませんでした」というのが普通です。この違いは小さいようでとても大きい。なかなか理解しにくいと思いますが、「失礼します」と「失礼しました」の違いを考えれば分かるのではないでしょうか?

前者は、例えばドアを開けて誰かの部屋に入るときに使う思いやりを込めた言葉であり、後者は謝罪です。どうです?明らかに違いますよね?普段私たち日本人が口にする「すいません」は、思いやりや労りの言葉であり、感謝であり、依頼の意味があったりします。「すいません」は“魔法の言葉”なのです。

日本人はこの魔法の言葉に敏感に反応します。初対面の誰かと話すとき、それが中国人であれどこの誰であれ、「すいません」が自然に言える人かどうかを、日本人はわずかの間に判定しています。それによって、その人が信頼に足る人物であるかどうかを推し量るのです。

次回は、「すいません」の意味を深堀し、解説していきます。お楽しみに。

■お知らせ■
・この講座の続きが早く読みたい方は、書籍でご覧いただけます。『「すいません」が言えない中国人「すいません」を教えられない日本人(健康ジャーナル社・2011年)』
・ご紹介している書籍は、『外国人と一緒に働く事になったら読む本10選』という記事でもご紹介しています。

ABOUTこの記事をかいた人

井上一幸

アジア人財カンパニー株式会社 代表取締役  1968年生まれ、東京大学 経済学部卒業後、大手金融機関に勤務。Coalition of Services Industries (全米サービス産業連盟・ワシントンDC)、日本香港経済貿易代表部 投資推進室(インベスト香港)室長(東京)を経て 、アジア人財カンパニー株式会社を設立。著書は『「すいません」が言えない中国人 「すいません」が教えられない日本人』(健康ジャーナル社)がある。日本語教師資格、TOEICは980点という実力の持ち主。企業、大学での研修実績多数。